近年、経営と人材を語るうえでの重要なキーワードとして「人的資本経営」が話題です。
人的資本経営とは従業員などの人材を重要な資本と捉えて、積極的な投資対象として戦略的に高めていく経営スタイルです。
「人的資本経営はグローバル企業や一部の上場企業だけに関係のある話で、中小企業にとっては重要ではない。」「必要な考え方だと思うが、目の前の収益確保が優先。」
上記のようにお考えの方もいるでしょう。
しかし人的資本経営は、企業の大小や業種に関わらずすべての企業が優先的に取り組むべき経営課題です。
この記事では、なぜ人的資本経営が大切なのか、企業にどのような対応が求められているのか解説します。経営に関わる方、人材マネジメントを実践する人事部や管理職の方は、ぜひご一読ください。
目次
人的資本経営とは
経済産業省において、人的資本経営は次のように定義されます。
「人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」
引用:経済産業省 人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~
人的資本経営では人材をコストではなく重要な資本と位置づけ、投資の対象と捉えるのが特徴です。従来の日本における人材の位置づけは「人的資源(Human Resource)」です。人的資源の考え方において人材は消費対象であり、人材に投入する費用はコストとみなされていました。
また従業員の管理は人事部の管掌であり、経営戦略と人事戦略に一貫性がないこともありました。
一方で「人的資本(Human Capital)」の考え方では、人材は消費するものではなく、磨き上げるものとされています。
人的資本経営 |
従来の人材の捉え方 |
|
人材の位置づけ |
人的資本 |
人的資源 |
人材にかかる費用 |
コスト |
投資 |
経営戦略と人事戦略の関連性 |
密接に関係している |
必ずしも連動していない |
管轄 |
経営層 |
人事部 |
人材にかける費用を投資と捉えて、企業の将来のあるべき姿やパーパスを実現するための存在として重視するのが、人的資本経営の基本です。
従業員数が少ない中小企業では、一人ひとりのパフォーマンスが重要です。
企業規模にかかわらず、人材を重視する経営施策は必要といえます。
人的資本経営が注目される理由
欧米諸国では従来より人的資本経営、人的資本開示に関心を持つ人が多くいました。
しかし、日本で人的資本経営が注目され始めたのはここ数年です。
ここからは企業や個人を取り巻く環境の変化の観点から、日本でも人的資本経営が重要視されている背景を紹介します。
第4次産業革命が起こったから
ビッグデータやAIなどの科学技術の進展によって起こった「第4次産業革命」。
技術の発展で新たな経営戦略を実現できる人材の獲得・育成が課題となり、人的資本の考え方に注目が集まっています。
従業員数の多くない中小企業ほど、一人ひとりのスキルは重要です。社会で必要なスキルを伸ばし、事業成長につなげてください。
無形資産の重要性が高まっているから
企業の資本は「有形資産」と「無形資産」にわけられます。
無形資産は「情報化資産」「革新的資産」「経済的競争能力」でできており、人的資産は経済的競争能力に含まれます。
有形資産 |
現金、証券、施設、製品など |
無形資産 |
情報化資産:データベース、自社開発ソフトウェアなど |
革新的資産:著作権やライセンス、デザイン、製品開発など |
|
経済的競争能力:ブランド試算、人的資本など |
近年では物質的な豊かさを実現した先進国を中心に、無形資産の価値を重視する動きが高まっています。
ESG投資への注目も、その潮流の1つです。
ESGは、Environment(環境)・Social(社会)・Governance(企業統治)の略で、ESGに配慮しているかどうかを重視して投資することをESG投資と呼びます。
アメリカの代表的な株価指数「S&P500」では、2015年時点で企業価値の要因の84%が無形資産です。
人的資本は「社会」「企業統治」に関連する重要な要素であり、ESG投資において重要です。
実際に2020年米国証券取引委員会(SEC)では、上場企業に対し人的資本の情報開示を義務化しています。
参考:経済産業省 通商白書2022 第Ⅱ部 第2章 イノベーションによって変化する世界の貿易構造と経済成長の道筋
このような流れを受け、人的資本を含む無形資産が企業価値において重要とする見方は強まっています。上場をしていない中小企業に、人的資本開示の義務はありません。
しかし投資先企業としての魅力を投資家にアピールするため、人的資本を充実させることは重要です。
キャリア観や働き方が多様化しているから
現在はパート・アルバイトや派遣だけでなく、副業や事業委託など、多様な働き方が選択できるようになりました。
また新型コロナウイルスの流行でテレワークが急速に普及し、働く場所や時間の概念も変わりつつあります。
多様な人材が同じ職場で働くようになったことから、これまでの新卒一括採用、終身雇用、全員出社を前提とした制度では、人材を生かせないと悩む企業が増えています。
今後も継続して労働人口が減るなか、少数精鋭で事業展開する中小企業には従業員から選ばれる環境作りが必要です。
人的資本経営の考えを活かし、人材の多様性を重視する動きは今後も中小企業を中心に強まるといえます。
参考:経済産業省持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書 ~ 人材版伊藤レポート ~
「人事版伊藤レポート」から読み解く人的資本経営のポイント
2020年9月、経済産業省は持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会を実施し、報告書を発表しました。発表の内容は、通称「人材版伊藤レポート」と呼ばれています。
参考:経済産業省 持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書 ~ 人材版伊藤レポート ~
ここからは人的資本経営をより詳しく理解するため、人材版伊藤レポートに示された内容を解説します。
3つの視点(Perspectives)
人材版伊藤レポートでは、人的資本経営に取り組む際に考慮すべき視点がまとめられています。
人的資本経営を検討する際には、以下3点を押さえてください。
1.経営戦略と人材戦略の連動
新たなビジネスモデルを実現する人材の確保は、ビジネスが流動化する現代では必要不可欠です。
経営戦略と人事戦略には強い連動性を持たせ、一貫した取り組みを行いましょう。
事業規模が小さい場合、中長期的な経営戦略より目先の利益が重視されるケースもあります。
しかし持続的な企業の発展には、今後の社会を見据えた経営戦略と、経営戦略をベースとした人事戦略が必要です。
2.As is‐To be ギャップの定量把握
ビジネスモデルや経営戦略を実現するには、人材アジェンダ(課題項目)の策定が重要です。
アジェンダごとにあるべき姿(To be)を定量的に定め、現状(As is)を測定します。
そしてAs isとTo beのギャップからKPIを設定し、具体的なアクションを決定します。
常に状況をモニタリングし継続的に見直しを行うことで、To beの実現を目指してください。
3.企業文化への定着
企業文化は、企業のパーパスを実現するための重要な要素です。どのような企業文化を目指すのかをあらかじめ定義し、定着を測定してください。
人材アジェンダと同様にKPIを定め、達成状況をモニタリングすることが重要です。
また企業文化の定着に向けては、企業トップ自らが社内外にパーパスや文化を発信する姿勢が大切です。中小企業では、経営者のカラーがそのまま企業文化になるケースが多いです。
企業としてどのような文化を醸成していきたいか従業員を交えて議論し、方向性を明確にしてください。
5つの共通要素(Factors)
次に固有の事情を超え、すべての企業に共通する5つの要素を解説します。
事業規模にかかわらず関連する要素であるため、ぜひチェックしてください。
1.動的な人材ポートフォリオ
企業の経営戦略実現に向けて必要な人材は、質・量の両面で最適化させなければいけません。
事業戦略の動きと連動させ、いつまでにどのような人材がどのくらい必要かを見定め、充足に向けてアクションします。
将来の企業のあるべき姿であるTo beから逆算して、人材の確保や育成を計画してください。
2.知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
企業が持続的に成長していくためには、イノベーティブな発想が必要です。新しい発想を促すため、多様な人材が一緒に働ける環境を作ってください。
ダイバーシティは、女性や外国人など「マイノリティとされてきた人材の参画」という意図で用いられることが多くありました。
しかしイノベーティブな発想を続けるには、マイノリティを受け入れるだけでなく、多様な価値観や専門性、経験値を掛け合わせることが重要です。
多様な人材から生まれる成果物やプロセスをKPIとしてください。
3.リスキル・学び直し
IT技術の革新や社会環境の変化に合わせ、個人のスキルをアップグレードすることも重要です。
必要なスキルをいつでも学べるよう、環境を整えてください。
従業員のリスキル、学び直しを推進する際は、経営層自ら学び続ける姿勢が大切です。
企業トップがどのようなスキルを身につけるべきか示し、努力を続けてください。
4.従業員エンゲージメント
経営戦略の実現には、従業員が自律的に業務に取り組む意識が重要です。
企業が積極的にパーパスを発信し、従業員の意識を高めてください。
ただし「従業員エンゲージメント」と「従業員満足」は混同されやすいです。
正しく理解し、適切なアプローチを行うことが重要です。
従業員満足 |
所属する組織、職場の状況、上司、自身の仕事などについて、従業員が自身の物差しで評価をする |
従業員エンゲージメント |
会社が目指す方向性や姿を基準として、自分自身の理解度、共感度、そして行動意欲を評価する |
多様な働き方を可能とし、個人がパフォーマンスを最大限に発揮できる職場を作ってください。
5.時間や場所にとらわれない働き方
時間や場所にとらわれない働き方は、業務効率向上や多様な人材の尊重において重要です。
柔軟で機動力の高い組織を作れば、大企業に引けを取らない強い体制を築くことも可能です。
ただし多様な働き方の実現には、これまで以上のリーダーシップとマネジメントスキルが必要です。
さまざまな背景を持つ人材を引っ張っていけるよう、マネージャー層への教育体制を強化してください。
人的資本経営を推進するステップ
人的資本経営の推進にあたっては、自社特有の事情に配慮した戦略が必要です。ここからは自社で人的資本経営を推進するための、具体的なステップを紹介します。
1.経営陣によるイニシアティブ
人的資本経営の実現には、経営戦略と人材戦略の密接な連携が必要です。
そのため、人的資本経営のイニシアティブを経営陣がしっかりと執る必要があります。
CHRO(最高人事・人材責任者)を専任にして、経営と人材戦略を深く結びつけてください。
ただし中小企業においては、新たにCHROを新任する余裕がない場合もあります。
その場合は現任の人事部長が戦略を実行できるよう、新たにスキルを学習する必要があります。
2.企業理念、パーパスの明確化
次に企業の経営理念とパーパスを明確化します。
経営理念やパーパスは自社と他社を区別し、顧客に価値提供をする際のコアです。
従業員が企業に所属する意味ともいえるパーパスを改めて言語化し、社内外に向けて発信してください。
3.経営戦略の達成目標とゴールの明確化
次にパーパスの実現に向け経営戦略を策定し、目標を具体化します。企業におけるパーパスは、多くの場合概念的です。
具体的な取り組みに落とし込めるよう、目標を数値化することが大切です。
具体的な達成目標の例は、次のとおりです。
- 現在は売上比率10%程度の海外事業を、5年後までに30%に上げる
- 経常利益を3年間で現在の1億円から5億円に上げる
- 現在25%の従業員離職率を、3年後までに10%未満にする
具体的かつ効果測定が可能な形でゴールを設定してください。
4.目標達成に向けた人材アジェンダの特定
経営戦略の目標を達成するために必要な人材について、アジェンダ(課題項目)を特定します。
以下のような例であれば、必要な人材についての共通認識が生まれやすいです。
- 今後のヨーロッパ圏での事業展開に向けて、外国人従業員や、グローバルビジネスの経験が豊富な人材の増員が必要
- 事業のDX化に向けて、ITのプロフェッショナル人材の追加採用と、全従業員に対するITスキルの学び直しが必要
現在の課題を解決する視点ではなく、将来のゴールから逆算する視点で人材アジェンダの設定を行ってください。
5.人材アジェンダごとのKPI策定
設定した人事アジェンダに対して、具体的なKPIを数値で設定します。
KPIの例には、次のようなものがあります。
- 3年後までに、ドイツ支店の現地採用者を15名に増員する
- グローバルビジネスの経験が豊富な人材を、営業部のマネージャとして2名中途採用する
- 全従業員に対してITスキル研修を実施し、1年間で社内認定資格の保有者を全体の80%にする
経営陣が達成状況をモニタリングできるよう、具体的な数値目標を立ててください。
6.現状と理想のギャップ把握
あるべき姿と現状を把握するためには、現在の人材ポートフォリオの把握が必須です。
現在所属している従業員に関するデータを収集し、可視化します。
具体的にどのようなデータを収集するかは、達成したい人材戦略によって異なります。
調査方法は設定した人事アジェンダをベースに決定してください。
特に中小企業においては、人材の把握を人事部や上司の経験や感覚で行うケースもあります。
感覚ではなくデータに基づいて人材を把握・配置するよう意識してください。
7.具体的なアクションの実行
実現すべき人事アジェンダのKPIから逆算して具体的な施策を考え、実行します。
新規人材の獲得や、既存の従業員のリスキリング、配置転換、評価制度の見直しなどの施策を実施し、目標達成を目指してください。
社内リソースが限られている中小企業においては、外部サービスの活用も大切です。
採用、育成に関して知識を持つ専門家に相談してください。
8.従業員や投資家への積極的な発信・対話
人材戦略を実行する際には、発信も大切です。戦略そのものやアクション内容、進捗状況を従業員や投資家などに伝えてください。
従業員に取り組みを話せば会社のやりたいこと、今後の方向性について理解が進み、エンゲージメントも向上します。
また投資家に対して人材戦略のあり方を示すことで、自社のアピールにもつながります。
9.目標達成状況の確認・振り返り
施策の実施後はアクションの進捗具合を経営陣がチェックし、内容を見直します。
社会環境の変化が早い現在においては、外部環境の変化に合わせた柔軟な調整が大切です。
人材版伊藤レポートでは、モニタリングをする際のポイントとして以下3点を取り上げています。
- 企業のビジョン、存在意義(パーパス)は従業員に浸透しているか
- 人材戦略が経営戦略や新たなビジネスモデルと整合的か。この観点からタレント・マネジメントやタレントプール、人材のリスキル・流動性は十分か
- 人材戦略を通して企業価値が創造されているか
目標達成に至らない施策に関しては、原因を究明し、すぐに対策を検討してください。
まとめ:人的資本経営はすべての企業が取り組むべき必須課題
社会環境が急速に変化する中で企業を成長させるには、イノベーティブな発想を持ち、戦略を具体化できる人材の力が必要です。
少ない人材で最大のパフォーマンスを発揮していくため、人的資本経営に力を入れましょう。
また、近年では人的資本経営の一環として従業員の健康保持・増進により労働生産性を高める「健康経営」が注目されています。
あわせて読みたい:健康経営のメリット・デメリットは?取り組みの手順やポイントを解説
ゲーム感覚で楽しく運動習慣を身につけられる福利厚生アプリ「KIWI GO」を活用し、生き生きと働ける環境を作ってください。